4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

父の話 2

12月25日(土)

子供たちには「親が寝ている間は起こさないでね」とよく言い聞かせておいたが、どうしてもこらえられなくなった下の子が寝室に入ってきて「スマート! たまごっちスマート!」と大声でささやいたので起きてしまった。

6時18分である。

妻が起きていって子供たちのために暖房をつけてやり、また戻ってきて「寝られた?」と聞いた。私は余命の父を残して、良く寝た。

たまごっちスマートは本当に欲しがっていたものではない。本当にほしがっていたのは1世代前の「たまごっちミーツ」だ。でもそれは来年2月でサービス終了になるし、すでにプレミア価格になっていたので最新型にしたのだった。

サンタさんは靴下に付属アイテム(カードやネックストラップ)を入れていたのだがそれには気づかず、しかし大喜びして自らのたまごっちをなでたり餌をやったりしている。

ナスとネギと卵の炒め丼をつくる。ぼーっとしていて白飯の量を見誤りかなり多かったが全員全部食べた。

行くか。

正直雰囲気がわからず、泊ってくる可能性あるかなと思って下着や着替えもリュックに放り込んで家を出た。

実家は最寄り駅から歩いて20分、しかし最寄り駅は不便だから30分くらいかかる少し遠い駅から、歩いていく。

11時前に実家についた。歩く時間もあわせて、1時間半くらい。すぐだよ。こんなに近いのに、なんで年2回くらいしかこなかったんだろう。月1回くらいは来てもよかった。そうすべきだった。本当にそうすべきだったよ。

父がいた。元気そうだ。元気そうというか、いつも通りだ。

挨拶をして、台所のほうへ向かい薬を取り出す父の背中にすがる。せっかくだし何らかの肉体的なふれあいを一度はしようと決めてきたが、決心のことを思いだす前に体が動いた。

「まだ逝かせないでくれよー」

この人は余命だが、まだ逝くつもりはないらしい。

母がコーヒーを淹れてくれた。コーヒー、いいのか。

父はテーブルについて、自らの癌について丁寧に説明をしてくれた。そして、こんなのを作ってるんだよ、と保険の問い合わせ先とかをエクセルでまとめた資料を見せてくれた。

父の声は優しい。私が生まれたときからずっとそうだったが、父がこんなに優しい声の持ち主であることに私はなぜか社会人になってから気づいたのだった。

「他にも、家のローン、家の名義、車の名義、公共料金、インターネット、クレジットカード、いろいろあってさ。今は死ぬってのも大変なんだよね。体が動くうちに準備しておかないと」

あ、急いで終活している。弟が言ったとおりだ。

一緒に昼ご飯を食べる。糖尿のような症状らしく、薄味の粥とおでんを食べていた。母も同じ。私だけは昨日の残りであるピザとチキンのトマト煮だ。

父、母、私。ひと昔、というか数年前であれば昼から白ワインが開いていたかもしれない。

でも今は。

意図的に明るくふるまっている部分、明るくふるまいながら「こないだの飲み会で『これが最後かもねー』なんて言ってたけど、ほんとにそうなっちゃうかもなー」と寂しい話をする瞬間、寂しい話の中でも明るくふるまう瞬間など、いろいろな想いが重ね塗りされた会話が続く。

ヤマダ電気のポイントが貯まってるんだけど、今から使っても意味ないしなぁ、でも最新型のパソコンは欲しいしなぁ」

父が散発にいったので、母と少し話す。母もひとりになってしまうことを前提にいろいろなことをとらえなおしている。弟が離れ、父が亡くなったあと、一人でここに住むのだろうか。

私が通っていた小学校まで歩いて行ってみる。確かに少し遠いが、めちゃくちゃ遠いというほどではないな。

玄関に仕掛けられたセンサー仕掛けのライトの電池が切れたので交換したい、とのこと。脚立をもってきて、のぼって替えてやる。俺にできるのはこんなことくらいだよ。

テレビを見ながら父と話す。仕事のこと、年収のこと(私の年収は元気なころの父の倍近くあるはずだ)。

「延命治療はいらないから」

そういう大事なことは雑談の合間にはさまないでくれ。しかし雑談の合間にはさまないと、言いにくいことでもあるよな。

お土産で信玄餅をもらって、いったん帰る。明日は弟が仕事が休みなので、弟にも会えるだろう。

「明日は家族会議でもしたら」父が言う。そうさせてもらうよ。

ターミナル駅行きのバスに乗る。車で送っていこうか、と言われるが、やめておくよ。道が激しく混んでいて、普段10分ちょっとでつく駅まで30分かかった。

駅ビルのカフェに入ってこの日記を3日分書いている。

家に帰り、妻が夕食に鮭のホイル焼きを作ってくれた。子供達は昼前にサンタさんのもう一つのプレゼント、ネックストラップとカードを見つけたらしく誇らしく教えてくれた。

「今日は本当に人生で最高の日だ」上の子が言った。何度も繰り返し。

もちろん父が言ったわけではないが、同じセリフでも8歳児が言うのとステージ4が言うのとで重みがあまりにも異なるので少し笑った。