この3年間の努力が報われたことを確認すると、ニンテンドースイッチ2を探しに行った。

2月第1週
ここしばらくあまりにもたくさんのことがあったのでもう書ききれない。
半分はnoteに書いた。noteに書いたのは似たような体験をするであろう人たちに届いてほしいからだ。
おとなの虫垂炎入門(40代男性)|Takuya Kodama
人生で初めて、が突然くると大人でも驚くものである。
手術から2週間と4日たってずいぶんと平穏に戻ってきた。特に何も意識せずとも歩いたり喋ったり食べたりできる。ところがふとした瞬間に痛んだりもするし(それが手術由来なのかもわからない)、全体的に体力が落ちていて食欲もうっすら靄かかったままだ。
そして今週は子の中学受験が終わった。
3年間塾のお迎えだの週末の尻たたきだの、最後の数か月はお弁当だのやってきたが、それらすべては結局「ある日の午前中のテストを受けること」に集約されている。まして親の役割で言うと「ある日に試験会場に送り届け、試験が終わるころに迎えに行くこと」しかない。あとはネットで合否を確認し、子供に見せることくらいか。あまりにあっけない。
結局わが子は2月1日も2日も合格し、第一志望校が含まれていたので受験は2月3日に終了した。
2月1日は妻が子供を送っていき、午後に帰ってきた。マクドナルドで遅めの昼食を食べ、帰り道でガチャガチャをみかけたといってメタモンの何かを携えて帰ってきた。
2月2日は私が子供を送っていった。学校は近かったのでいったん家に帰ってくる。会社は休んでいるので仕事をする気にはなれないが、といってもPCの前に座ると何かしらやることはある。2月1日受験校の合格発表の時間になって、合格であることを見届けてから、子供を迎えに行った。
緊張した面持ちで出てきた子供に、少し学校から離れてからスマホを手渡し、タップさせる。合格おめでとうございます。
はいこの瞬間にすべて終了です。
毎日やっていた算数や理科のドリルも、過去問も、朝から晩まで授業の日曜日も、サピックス模試も、定期テストも終了です。
それはつまり私にとっては、塾の前でDuolingoやりながら待っていた時間も、水筒をもっていくよう口うるさく言うことも、友達の家に遊びに行ってばかりの子をなだめすかすことも、「塾いきたくない」に頭を悩ませることも、澄み切った夜空の中を子供と歩きながら星座を眺めて星の名前のあてっこをすることも、終了です。
お昼に何を食べたいか聞くと「ファミレス」と言うので学校の近くのファミレスまで歩いて行った。猫ロボットがハンバーグセットを運んできて、ドリンクバーと一緒に食べた。ファミレスには勉強をしている小学生と母親(ほぼ母親である)が何組もいて、受験がまだ終わってない人のほうが多数派なのだろうか。
写真、もっと撮っておけばよかった。とりあえず手元のスマホでファミレスで悦に浸る子を撮っておく。
子供はすっかりその学校に行く気になっていたが2日に受けた学校が合格ならそちらに行くのだ。
合格発表がある2月3日は、子供が学校に行く。私はコーナンに行ったりぼんやりしながら合格発表の時間を待ち、無事合格を見届けた。その勢いで塾に連絡をし、入学金を振り込む。午後になって子供が帰ってきて、合格発表の画面をクリックし、この3年間の努力が報われたことを確認すると、ニンテンドースイッチ2を探しに行った。
ふう……
しかし、驚くべきことに次は来年なのである。なにせうちは年子なのだ。さあ、勝負の一年がまた、始まる……
表が出るか裏が出るか

1月16日(金)
日記に書いておいた方がいいこともある。
朝ごはんにゆで卵とグラノーラを皆で食べ(下の子は延々とショート動画を見ていて朝ごはんを食べ始めたのが登校10分前だった)、子供達を送り出す間際に腹痛があって倒れた。胃が締め付けられるような痛みで、食べすぎとか食あたりとかそういうタイプだ。
文字通りリビングで倒れていたが子供達はゾロゾロと出ていった。もしかしたらもしかすると思い上の子が家を出る間際にスマホだけ手元に持ってきてもらった。
それは数年前に妻が胃腸炎だかなんだかで倒れて自分で動けず私が救急車を呼んだことが教訓となっている。ガチの腹痛は動けないのを知っている。
幸にして30分ほど倒れていると動けるようになったので、少しずつ仕事をこなしながら出社する。食欲は一切なかったので昼食は食べない。
会社でいくつかミーティングをしていると再び腹痛の波が来たのでその後の予定をキャンセルして帰る。帰った瞬間に無理を感じてベッドに倒れ込む。
妻が帰ってきたとて腹痛が良くなるわけではないがとりあえず早く帰ってこいーと祈りながら倒れていると、ようやく妻が帰ってきた。
しばらく休んでいたが腹痛は徐々に強くなる。見かねた妻が半分眠りながら半分うめいている私を尻目に医療機関を調べて電話をかけてくれているが、金曜の夕方18時なのでなかなか開いていない。少し離れた総合病院に以前同じように緊急で行ったことがあって、そこに行くことにした。
緊急外来受付には韓国人の家族七人連れがいて、体調が悪いのはそのうち一人だけのように見えた。色々あるんだろうけど病院の受付を家族団欒の場所にしないでもらえるかなぁ。
吐き気がしてきて、我慢していたのに少し吐きそうになってしまった。吐かなかったのは胃に何もなかったからである。そこから腹痛の波が一気に強くなったところで名を呼ばれて診察室へ。
あまりの痛さにベッドで蠢いていて、慌てて点滴で鎮痛剤を入れ、各種検査が始まった。血液検査、心電、超音波、触診。触診は腹部のどこを触られても絶望的に痛いのであまり参考にならなかったかもしれない。
ベッドでのたうちまわりながら、「0が全く痛くない、10がのたうちまわるほどの痛み、だとすると今いくつですか」と聞かれて、「今のたうちまわっているんですけどねぇ」と答えた。9とされた。10じゃないんだ。
最終的に主な所見なしということで、痛みが右下に移動したら虫垂炎の可能性があるので来てくださいと言われて帰った。
とりあえず鎮痛剤で痛みはおさまっているので家に帰り、ゼリー飲料を飲んで寝た。
1月17日(土)
ドキドキしながら目覚める。痛みが右下にいたら虫垂炎、痛みが消えていれば胃腸炎。表が出るか裏が出るか。
結果は「痛みがほとんど消えているが右下がうっすらチリチリと痛い」だ。これは悩ましい…!
子供らは前日の妻の言いつけを守って自分たちで朝食を用意して食べている。私はゆっくり起き出して、「痛いような、痛いとは言えないような」を味わいながら卵がゆを作って食べる。
虫垂炎のときにこうすると痛いですよ、というのは大抵当てはまるが、何しろ痛みの絶対量が私の知る虫垂炎より全然少ないのだ。痛みを昨日出し切って違和感だけが残ってるのかな? それかあまりの痛さに引き攣った腹筋が筋肉痛なのかな?
結局丸一日全く痛みは増えず、引かず、夜は友人と会食があったが少しずつ野菜や消化に良さそうな肉を食べ、帰って寝た。どのみち土日なので病院はやってないし。。。
体のシグナルを無視しても安全に過ごせる社会になった

1月12日(日)
子供らは毎日日記をつけていて、えらい。私は時々さぼりがちになってしまう。そのことは子供らに伝えていないが……
朝飯にたらこバターご飯を食べる。子供らは最近たらこバターごはんにはまっていて、これにすると何杯か食べる。空腹かどうかという生理的欲求より、好きかどうかが大事なんだろうな。子供らは水分もあんまり飲まないしな。
そういえば下の子が「このあいだお昼ご飯少なくていいって言ったのはお腹が空いてなかったわけでなくてできるだけ早くお友達と遊びたかったからだよ」という告白をしてきた。
痛い、おなかすいた、喉が渇いた、疲れた……そういう感覚に自覚的になる理性と、「それを無視したらやばいかも」という冷静さがあってはじめて、体のシグナルが行動につながる。それだけ体のシグナルを無視しても安全に過ごせる社会になったというわけだ。
上の子が朝から過去問をがんばっていて、買い物に行きたいと言ったので15時までに全部終わったら一緒に行こうという話をした。いいじゃん。
昼食は上の子だけ餅カレー。前日に下の子が食べたのを聞いて、うらやましいらしい。やわらかくして少し小さめに切った餅に無印のカレーかけるだけなんだけどね。私と下の子はイカ焼きそば。3人分のイカが2人分になったのでイカたっぷりでうまい。
午後に錦糸町へ。妻も合流した。
100円ショップを見て、安い服をみて子供らは欲しくなり(明らかにオーバーサイズだけど)、次にお菓子屋を物色している間に私はセカストをうろうろする。するとグリーンとブラウンの切り返しになっているセーターが900円で売っていた。900円!?
仕事終わりの妻が合流してきて、全然いいじゃん、着れるじゃん、と言われたので買った。正直2回くらい着たら元が取れるだろうよ。
家族で抹茶アイスやバナナジュースを買って飲み、成人の日を祝う晴れ着の人たちがプリクラを撮っているのを横目に帰ってきた。
そういえばPCのドッキングステーションから十分な電流が流れない問題、ケーブルを替えても解決せず、これはハズレを引いたかな、いよいよ相性問題かな……と思いきやACアダプターがコンセントから抜けかけているのを発見した。
はあ、このパターンか……。差しなおしたら、ちゃんと電源供給が稼働するではないか。
古いケーブルだとどうなるのかは、怖くてやってない。
一人で歩けるようになるのももうすぐだろう。

1月8日(木)
昨日の午前中のんびりして「水曜午後にやればいいやー」と思っていたのに水曜の午後が予定でパツパツで、予定表をちゃんと見ればよかったと後悔しきり顔があおざめたまま目覚める。
そういう時は会社に行くに限る。朝のミーティングも家から出るつもりだったけどやっぱり会社から出よう。レーズンパンをトーストにしてみんなで食べ、みんなで家を出る。
ランチタイムに会社の地下にある担々麺屋に行く。ここは担々麺と名乗りながらひき肉ではなく角煮のようなものが上に載っているので逆賊なのだが、会社からここまで近くでほかに担々麺らしきものを食べるすべもないので時々行く。
担々麺、目立たないけれども確実に日本に「ある」メニューだ。もと川崎市民としてはニュータンタンメンがソウルフードと胸を張ってみたいところであるが実は食べたことがない。あれも子供のころにずっと「あるな」とだけ思ってきた。今度実家に帰るときに食べてみよう。
夕方まで働いて家に帰ってきたら子供の小学校から電話がかかってきて、入試に必要な資料の記入が終わったので取りに来てくださいとのこと。職員室を訪れ、資料をもらいついでに、ひとしきり昨今の入試事情について聞く。1月に入ってからずっと休み続ける子もいるそうだ。
先生からするとなかなか悩ましいだろうが、私が子供のころと違って先生たちの理解が遥かにあってありがたい。算数などは学力別クラスになっており一番上のクラス(実質中学受験組のみ)は過去問を解いたりしているらしい。とはいえ数十年前のものだが……どこでそんな問題見つけてくるんだ?
ついでに下の子の担任の先生もいたので明日休みますと伝えておく。小学校、近くてありがたい。
1月9日(金)
妻は朝からいなくて、下の子を病院に連れていく日だ。上の子を起こし、グラノーラを食べていると下の子はぎりぎり気味になってしまった。
タクシーに乗って病院へ。さすがに金曜の朝なので道は混んでおり、タクシーは裏道を縫って病院へ向かったが、それがためなのかタクシーから何か気が出ているのか、二人して妙に酔ってしまった。
お茶を飲んでひといきついて診察。子供の足は無事回復しているようでなによりだ。
思ったより早く診察とリハビリが終わったのでゆっくりと歩いて駅まで行く。病院から駅までは大人の足でも歩いて10分以上かかるが、子供につきそってゆっくりゆっくり大きな橋を渡った。二人で歩いてくれるのも、いつまでだろうかね。この川を上流にさかのぼっていくと我々の家がある。家からずいぶん離れてきた。一人で歩けるようになるのももうすぐだろう。
給食が「小松菜ごはん」というわかるようなわからないようなメニューなので、我々も小松菜を刻んでチャーハンにした。小松菜としらすのチャーハン。うまいに決まっている。
仕事が詰まりすぎており、夜まで仕事をして寝る。
年末年始を家で過ごす中で辛い物を食べたい欲が育っていた

やっぱり毎日書くのって難しいな(かつて書いていたのだが)
1月6日(火)
妻が朝出勤し、下の子はテストがあり、上の子は何もない。こういう双方で予定がそろわない日はお互いがお互いをうらやましがるのでマネジメント難易度が高い。
下の子は朝から「テストに行かない」とむずがっているが、正月のなますをバゲットに挟んで焼いた「なますバインミー」を食わせて自転車に乗せ、送っていく。せめてテスト範囲の復讐でも、と思って江戸時代や明治時代のクイズを出しながら行った。等差数列の和の求め方の復習もした。
子供との話の中で、つい「パパはこれできるから」みたいにマウントとりがちなのはよくないな、とふと思った。仮に私ができたとしても、できないふり、ふりはしないまでもできるとも言わないのは子供の自己肯定感をはぐくむうえで重要なのではないか。
私は中学受験が懐かしいので面白がっていろいろ問題を解いたりするが、これもよくないな、たぶん。気づくのが遅い、が気づいた分だけよいだろう。
子供が自分の成長にフォーカスできるような環境を整えてあげよう。
ノンカップ麺のカレーうどんをつくって、適当な野菜をのせて昼食とした。ノンカップ麺、我が家ではなぜか普通に日々食べているがこれほとんどの人にとっては見慣れない食い物だろうな……
1月7日(水)
新年出社はじめ。妻が休みなのでのんびり起きだして、七草がゆをつくる。
七草がゆ、餅をいれるのが通例だが今年は黒豆を入れてみた。そのまま入れると灰色粥になってしまうので水洗いして入れたらまあまあ面白い見た目になった。味は想像通り。
ヨドバシAkibaはじめをして充電器を買い、味坊はじめをして辛い牛肉の煮物を食い、会社へ。特別辛い物が好きなわけではないが、やはり年末年始を家で過ごす中で辛い物を食べたい欲がすくすくと育っていたのかと気づく瞬間がある。
夜は以前の同僚とすし屋でビールを飲んで帰った。ビール、ビール、ウーロン茶、ビール、ウーロン茶、ビールの順で飲んだ。
お友達が先生にチンチラのかわいさをアピールしていたのを聞いてた

はてなブログっていつの間にか課金しないと記事中に広告が固定表示されるようになった??
それはよくないな……noteに戻るか。
noteから移ってきたのはエクスポート機能の有無だけど、あちらにはもうエクスポートついたしね。
1月5日(月)
仕事初めであるが、子供らはまだ冬休みだし冬季講習もあるので結局平日と休日のハイブリッド(悪い意味で)である。
6時半に起き、子供を起こす。6時半って遅くない? 早い?その辺の感覚がさっぱり消え失せてしまった。
朝食はスーパーでパンを買ってあったので野菜入りスクランブルエッグ、トースト、トマト、コーヒーと普通の朝食に戻ってきた。
妻が仕事に行き、下の子を塾に送っていく。そして帰ってきて上の子を焚きつけ、仕事。仕事始めとは思えない量の仕事があって怯む。あれこれ、あれこれ…
12時。もう昼か。。。
上の子の昼飯のために焼きそばを作り、一緒に食べる。上の子が出ていって、下の子をお迎えに行くまでの間に犬の散歩をして、犬を急かして帰ってきて、慌てて自転車に乗って下の子を迎えに行って、そして全然出てこない。同じクラスと思しき他の子は出てくるんだけど。
10分ちょっと待ってようやく出てきた。聞けば「お友達が先生にチンチラのかわいさをアピールしていたのを聞いてた」のだそうだ。
俺、仕事中なんだけど。
帰って焼きそばを温めて食わせる。この時点で14時だ。昼休みの方が忙しいし、長い。なんかの罠だろうか。
そこからは家でチクチク仕事をして、妻が作ってくれたローストチキンの夕食を食べ、早めに風呂に入って、その割に遅くまで起きていて、寝た。
細かいところまで差でいっぱい
写真は昨年台湾に行ったときに向こうの同僚が連れて行ってくれた中国北部料理屋の鍋である。白菜の漬物を出汁に使っている豚肉の鍋で、めちゃくちゃうまい。
東京だと私のこよなく愛する御徒町の老酒舗でランチにも出すやつだが、遥かに本格的で味わい深い。タレのコーナーに黒だれ、赤だれ、緑だれの3種類あって、それぞれどんな味がするんだろうと思っていたら「全部混ぜろ」と言われた。ほほう。
台湾にいるなら台湾料理をと思うこともなくはないが、それぞれの土地で「得意な外国・別地方料理」というのはあるわけで、それを楽しむのもまた一興だろう。
1月4日(日)
妻の仕事初めで、朝からワンオペである。塾が早い下の子はゆっくり寝ていて、朝方にシフトしようとしている上の子を起こす。
6時半から断続的に声をかけて起き出したのは6時50分だった。おお、早起きに成功したな!と快哉を叫んだがよく考えると7時なので大して早くないな。
飯の準備をし、食わせる。妻が煮豚と一緒に煮た玉ねぎがちょびっと残っていて、ちょびっとの割に味も濃く豚の旨みを散々吸っているので白飯に最高にあう。私は卵かけにしてしまった。。。
そしておせちの残りの煮物だのなんだのを一気に片付ける。下の子も起きてきた。
下の子は歩けるようになったというので松葉杖をつかずに塾に送り、洗濯機を回し、そして年初のゴミの日なので両手に一袋ずつ燃えるゴミを抱えて、うずたかく積まれたゴミ捨て場に一気に捨てた。カタルシスよ。
片付けたりゴミ捨てたり、なんだかんだでバタバタするんだよなぁ。
落ち着いてPCに向かって少し調べ物をして、そしたら上の子がすごすごと入ってきて「お昼ご飯」と言った。わあもうそんな時間か。
あらかじめつけておいた昆布水を温め、麺つゆを入れて出汁にする。ネギと鶏肉と椎茸と生姜を炒める。うどんを茹でる。温かい鳥うどんだ。
美味しいのだが、この手の麺類は手順のシンプルさの割に鍋類をたくさん使うのでその点あまり有り難くない。パスタもそう。
上の子が塾に行き、一呼吸おいて下の子を迎えにいく。そして下の子にうどんを食わせる。上の子は汁を全部残した。下の子は全部飲んだ。細かいところまで差でいっぱいだ。
下の子の勉強が終わったらスーパーに一緒に行こうと言ったのに全然勉強しないからスーパーにも行けず、妻も帰ってきてしまった。こたつに座らせ、どうにかこうにか終わらせてスーパーへ。
年始価格でどれも高い中、鳥手羽元だけが妙に安く売っていたのでそれをたくさん買った。
夕食はリクエストをもらっていた鳥つくね。
卵の黄身を乗せるのが醍醐味ではあるが当然白身が残る。残った白身を茹でて犬のご飯にしようとしたらお湯が少なすぎて行平鍋の底にこびりつく。金タワシで必死に擦ると行平鍋は以前よりはるかにピカピカになった。こういう形での大掃除もある。