4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

あのとき『手が一番ガサガサ』って言った

12月14日(水)

父が他界したというがそこまで悲壮な感じではない。妻が朝の準備をやってくれたが、私もどうにか起きだして納豆チャーハンを作り、子供たちを学校へ送り出していく。

さて。

とりあえず犬と戯れ、そのあとPCを開いて部署のみんなに状況を伝える。すぐさま「お悔み申し上げます」のリプがつく。そうか、お悔やまれる側なんだな。

本日14時から葬儀と納骨堂の打ち合わせがある、と昨日の電話で聞いている。打ち合わせ、か。仕事みが出てきた。気持ちは元気なんだけど、どうも仕事をする気分にはならない。昼食に、残っていた野菜の味噌煮を炒めて強引に焼うどんにして食べる。残っていた納豆チャーハンも一緒に食べる。

納骨堂に着くと車が1台止まっていて、弟と母が乗っていた。降りて、ものものしい建物に入っていく。「ポケモンリーグ」のようだ。

すぐに打ち合わせが始まった。今回は葬儀と納骨堂の契約が一緒に進むので、葬儀についての詳細を固めたり、納骨堂の中を案内されたりといろいろだ。値段によってグレードがやはり違う。一番安いのでいいかな、と思った節も今まではあったが、実際に日当たりや装飾を見てみると「うーん」とうなるに値する差であった。値段差を出すためにあえて一番安いランクを安く作ったのでは、と思うくらい。

結果2時間半もみっちりと打ち合わせをして、かかる金額をしっかりと確認する。弟の車で実家へ。

「父さんが、叔母さんが来た時に最後に喋った言葉、あるじゃん」弟が言った。「みんな聞き取れなかったやつ」

あったかもしれない。それがどうしたの?

「父さんさ、叔母さんが手を握ってて、あのとき『手が一番ガサガサ』って言ったんだよ、叔母さんに対して。自分それわかったんだけどさ、言えないじゃん。あの場で。」

最期に発したのが自分の妹を揶揄する言葉で、通じなかったのを見て気を落として、その晩意識を閉じていったのか。父よ、わかってあげられなくてすまんかった。父よ。

実家はシンと静かであった。弟は犬猫を待たせているのですぐに帰った。私は父の部屋を改める。PCがある。1台じゃない。1、2、3……7台ある。ノート4台とデスクトップ3台。ここから父の残したパスワード一覧ファイルを探し出し、ありとあらゆるものを解約していく必要がある。

最後まで使っていたのは父が寝ていた和室にあるノートPC(なぜ2台あるんだ)で、とりあえず片方を開いてみる。ロックがかかっていない、そのまま開けた。あるとしたらデスクトップか、でもない。Googleドライブだろうか。

ブラウザを開くと、そのままGoogleにログインできた。ドライブを覗くと、一番上にワードファイルがある。開いてみると、使用しているサービスのID・Pass一覧であった。BINGO!

とりあえず私に共有権限を開放し、ついでにGoogleアカウントも抜いておき、私のPCで父のアカウントにログインできるようにしておく。これで、家で作業できる。でかしたぞ、父よ!

これを作るに至るまで、母が随分せかしたらしい。ありがたい。

母と夕食でも食べに行くか、どこでもいいよ、と言ったら、近所のサイゼリヤにしようかという話になった。サイゼリヤなんてあったっけ? あった。ホームセンターに入っている。

サイゼリヤで、私は推しである青豆とチキンローストを注文、母はサラダとハンバーグチョリソーセットを注文した。青豆を分け合って食べる。うまいよね、これ。「あったかいごはん……チョリソーがたまらん……おいしい……」母は本気で感動していた。

母は、父におかゆを食べさせ自分だけ好きなものを食べる、みたいなことができない性分である。ここ数か月、おかゆばかりの食べ応えのない日々が続いたのだろう。温かい食事のありがたみ。しっかりとライスまでたいらげた。どんなに高級な料理店のスペシャリテでも、これにかなうものはない。料理は常々、状況である。

家に帰って子供たちと少しだけ戯れ、寝た。さすがに疲れが出てきた。