4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

父の話 1

12月24日(金)

クリスマスイブだ。子供たちは朝から浮足立っている。私は前日遅くまで仕事をしていたせいで少しだけ寝不足で、ミネストローネとゆで卵をつくった。

仕事をして、妻と中華屋でから揚げのネギソースを食べ、また仕事をしているとたくさんの荷物を抱えた子供たちが帰ってくる。今日から冬休み。学校は二期制なので終業式はない。

私が小学生のころは小学校まで遠かった。夏休みや冬休みの前に、大量の荷物を持って帰ってくるのがつらかった。家から小学校を望むことができる君たちがうらやましいよ。

妻が見つけてきたレシピの通りローストチキンの尻にビールの入った耐熱容器をねじ込み、オーブンに突っ込む。そして子供たちが風呂に入っている間一息ついて、iPad miniをとりあげた。

弟からのLINEが来ている。

父のことで話したいので電話できる時間をおしえてくれ。

ほら、ろくでもない。

今ならいいよ、と返信して、思い直してすぐにかけた。10回ほどコールしたのちに弟が出た。仕事部屋に入って電気をつける。

「お父さんのことなんだけど、あまりいい話じゃないんだけどさ」

「だと思うよ」

「すい臓がん。すでに肝臓に転移していて、ステージⅣ。摘出は無理だから、もう少し検査したあとで、緩和ケアするか、薬物で進行を遅らせるかしかないって。緩和ケアの場合は余命3か月から6か月、薬物の場合は平均1年」

すい臓がん。
余命。
3か月から1年。
4月から12月。

頭の中では「Plastic Love」がリピートしている。父と同い年の歌手が、私が生まれた年にリリースした曲。

余命か……。

「仕事はいずれできなくなっちゃうし(父は介護施設の運転手をしているが、まさか運転手のほうが先に余命が点灯するとは誰も思わないだろう)、家のローンはまだあるし、費用面でも結構心配でさ」

余命か……。

「言ってなかったと思うけど自分も家をでちゃうことになってて、もう物件も契約して家電も買ってあるから。お母さんもひとりになっちゃうかもしれないから」

余命ね……。

「だからいろいろ協力してあげて」

「大丈夫、費用面は大丈夫。本人たちはどんな感じ?」

「うーん、ちょっとおなかが痛いって言ってたけど、おおむね元気だし、なんというか戸惑ってるかな。いまから急いで終活するんだってさ」

急いで終活。だって余命だもんな。

「できることはなんでもするよ。正月に帰省しようと思っているけど、それは大丈夫かな? ちょっと聞いてみてもらっていい」

「わかった。じゃあまたね」

「すまんね、いろいろ手間かけます。すまん。がんばって」

電話を切る。実家に暮らす弟にはいろいろ手間をかけていると思う。

世の中で取り交わされる連絡の中で、「親が死んだ」がひとつの最悪だとすれば、「親がもうすぐ死ぬ」はそれに次いで最悪の部類に入るだろう。

死ぬのか、父さんが。

確かにだいぶ老けたし、顔にほくろやシミも増えた。耳も遠くなって、今年の誕生日には耳の遠い人のためのスピーカーを買ってやった。腰もつらそうだ。

でも、66歳だよ。最新のスマホも使うし、wi-fiやプリンターのセットアップもするし、DIYで部屋の壁をログハウス調にするし、自分の父だってついこの間、7年前に亡くなったばかりだろ。そこに余命って。

ローストチキンが焼けていたのでオーブンを止める。それ以上は何もやる気にならず、スープをつくっておいてよかった。レタスは適当にちぎるだけ。かぶの塩もみを載せる。ドレッシングをつくる元気もない、白飯を盛り付ける元気もない。

元気ないよ!

だって父が死ぬんだよ!

これは元気なくても大丈夫! 元気なくて当然!

そこに風呂からあがった子供が真っ裸で「パパiPadとって!ゲームする!」と言ったからさすがに叱ってしまった。

子供らと一緒にローストチキンを食べ(白飯がないこと、サラダが手抜きのことを誰も指摘しなかった)、サンタさんを心待ちにして震える子供らを寝かしつける。

誰かに伝えないとつらい。子供らが寝たら妻に伝えよう。

ところが、妻も一緒に寝落ちして、何度も起こしに行ってようやく起き、言うか、と思ったら風呂に入って、のんびりしている。

早くあがってこいよ! 父が死ぬんだよ! 余命だよ!

なぜかうちにある、寝室の引き出しにしまっておいた昔の写真を引っ張り出して眺めていると妻がようやくさっぱりして出てきたので、父のことを伝えた。

悲しいことがあると、悲しんでいる自分と、それを見て「悲しんでいるなあ、悲しんでいるごっこをしているのでは?」と冷めた目をする自分の二つに分裂し、前者が前に立っているときは悲しく、後者が出てきているときは落ち着く、というあいまいな状況になる。

クリスマスプレゼントのたまごっちスマートを袋に詰め、私のサンタさんが死ぬことに意識をはせる。何をもらったっけな、あんまり覚えてないや。犬が欲しいと言って、犬のぬいぐるみをもらったことはあったな。

あと覚えているのは12月24日に外食することにしたある年のこと。

車に家族で乗り込み、父が「忘れ物をした」といって家に帰り、その外食が終わった後で帰ってきたらサンタさんがきていた。あわてんぼうのサンタクロースがきたね、とみんなで言い合った。

いくらなんでもあわてんぼうだろう。死ぬなよ、60代そこそこで。

子供たちのたまごっちは、包むまではやったが渡しに行くのがつらくなって妻に任せた。

寝る前に妻が「すい臓がんって見つかりにくいらしいね。見つかった時には重症のことも多いし。色々調べちゃうよね」と言った。私は父を死においやった癌について調べることすら怠り、実際ただただ悲しんでいたという事実に気づいた。

悲しんでいるごっこではなく、本当の悲しみだったらしい。

スマホを取り出し、弟に

「やっぱり明日そっちに行きます。明後日も行くかも」と伝えた。

電気を消し、ベッドで泣いた。