4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

この国では、いつでも誰かが旅立っているのだ。

12月13日(火)

こんな状況ではあるが、妻の誕生日プレゼントを用意したい。本当は合羽橋まで買いに行きたかったが、時間がとれなかったので、仕方なくAmazonで買った。南部鉄器の鉄瓶。白湯をこれで飲んでほしい。

朝は春菊パンを食べ、仕事。部下との1on1がいくつかあって、話した。昼食は昨日の味噌汁が残っていたので、それと、ハムエッグを焼いて食べた。先日買った小さいフライパンを使えばよかった。

念のため、納骨堂に連絡をしておく。明後日を見学の日にして最悪そのあとすぐに葬儀の手配ができるように。

午後は休みにしたので、犬を撫でながらポケモンをし、帰ってきた下の子に宿題をさせながら仕事に戻り、その後帰ってきた上の子と妻をつれて家を出る。

弟からLINEが来ていた。目を開いて、口で息をしているから、子供たち連れてくるのはどうだろう、とのこと。まあこれも経験だからね。そして全然、イメージができないな。

しかし、ちょっと急ぐかもしれない。ふたたび葬儀屋に連絡をし、見学前にも葬儀の手配をお願いすることできますか。すでに帰った担当者を呼び戻して、段取りをとってくれた。児玉さんは契約前提としてお話しできるように話を通しておいたので、あとは何かあったらいつでもご連絡ください、整えておきます。

何かあったらいつでもご連絡ください。こんなに安心感のあるセリフはない。

子供たちを引き連れて浜松町から京浜東北線に乗りかえ、鶴見の病院へ。

まずは私が様子を見る。おお、確かに目を開いて(瞬きがすでに無いので目が乾いて濁っていた)、口で呼吸をしている。それ以外には何もしていない。この状態でも耳は最後まで動いている、と聞くやつだ。確かにちょっと子供たちにはインパクトが強いかもしれない。

コロナで面会者制限があるので私は一度抜けて子供を見て、妻が病室に入る。しばらくして出てきた。まあ、びっくりするよね。最後に会った時には一緒にご馳走食べたからね。

そして子供たちをつれていく。さすがに驚いて下の子は私の後ろに隠れた。せっかく来たからお名前教えてあげて。上の子はどうにか名乗れた。下の子は小さい声で少しだけ名乗った。聞こえたかな。お父さん、子供たちも来てくれたよ。目元が緩んだ気がした。

子供たちと妻は帰って犬の面倒を見たりして、私はここに残る。母はここに泊まる。妻と子供は心を癒すためサイゼリヤでアイスを食べたのだそうだ。

弟はいったん帰って、彼女をつれてくるらしい。諸々うまくいけば、来年結婚できる予定だ。

父の目がだんだん閉じていく。皮膚はすでに冷たい。血圧も40とのこと、そんな数字聞いたことがない。呼吸のリズムはずっと一定だ。これを下顎呼吸というらしい。末期の末期の末期の状況だそうだ。

妻の彼女も来て、最後の挨拶をして、母以外、解散。私は弟の車に乗せてもらって実家に泊まる予定だったが、途中で弟の家でカレーをごちそうになることに。弟の料理を初めて食べた気がする。明日の朝は私がふるまってやろうぞ。犬や猫と戯れる。

一通り泊りの準備をして、実家へ。暖房をつけて、どこで寝るか確認していたら、弟のスマホが鳴り、呼吸が停止したとのこと。

おっと。すぐに取って返す。

父はすでに最後の呼吸を終え、顎の下にタオルをはさみ、ただ横たわっていた。すでに旅立ったあとのようだ。口角が上がって、微笑んでいる。たまたま母が様子を見に来たとき、看護師さんが顔をぬぐってくれて、徐々に呼吸が細くなって、すっと止まったのだそうだ。

医師が来て死亡の診断をする。21時50分を、お別れの時間とさせていただきます。そうですか。

1年前、余命1年と宣告されたときから、徐々に父は死につつあった。ここ1か月での急速な衰え、そしてこの1週間、1日のあまりに急な展開ではあったが、父本人も、我々も、覚悟とか、折り合いは十分についていた。寂しくないわけではないが誰一人落ち込むことなく、前向きなお別れだ。

葬儀屋に連絡をする。すぐに車が迎えに来るとのこと。その間に叔母も来てお別れをしていた。昨日会えて本当によかった。

寝台車(今はもう霊柩車とは言わないらしい)が来て、目黒の安置場まで運んでくれるという。この時間だとタクシーになるだろう。目黒から家だとちょっと遠いが、せっかくなので父を送っていこうか。

寝台車に父とともに乗る。時間があったので運転手さんにいろいろ聞いてみた。

彼は葬儀屋ではなく、寝台車を運営する会社に勤めている。会社で依頼を受け、その時に近くにいるメンバーがアサインされて対応する。1日に何件も運ぶ。病気の方もいれば、一人で亡くなっており時間が経って発見された方もいれば、お子さんもいる。日本中どこへでも行く(北海道まで行ったことがあるらしい、13時間ほどかかったそうだ)。ドライバーの仕事を探していて、荷物よりも興味があったのでこの仕事についた。繁忙期は11月から1月(まさに今)。日によって依頼件数には上下があるが、ゼロという日はほぼないらしい。

この国では、いつでも誰かが旅立っているのだ。

目黒からタクシーに乗って家まで帰ってきた。6000円もかかった。犬がいるのでリビングは使えない、コンビニでエビスビール(父がお祝いの時や正月に飲んでいた気がする)を買って、仕事場でぐいっと立ち飲みをする。寝れるかなと思ったがさすがに眠れた。