11月23日(火)
冷蔵庫にずっと、ずっと栗があった。渋皮煮にしようと冷蔵庫で熟成させ、させたまま延々と2か月以上熟成されていた。
栗の渋皮煮は、かつて近所のバーに行ったときにお通しで出てきて、酒にあまりによく合うので驚いて自分でも作り始めたのがきっかけだと記憶している。
20年以上前に開業したらしい時代の重みを背負ったそのバーはしかしコロナ以降いつしか閉店して、居抜きでドーナツ屋になってしまったようだ。
歴史あるバーに居抜きで入るにはあまりにも軽すぎる。私一人に何ができたわけでもないだろうが。
栗の渋皮煮は酒に合うという、情報量にして約10文字の事実だけがその店から私に引き継がれ、いまなお生きている。
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朝だらだらと寝ていて、朝食の準備をする。米を炊いて、ニラ入りのたまご焼きを焼く。器に米とたまご焼きをもりつけて、しかし家族は誰もいない。各々に着替えをしているようだ。
待てども待てども来ない。その間にAlfa Mistが2曲流れた。
妻は自分のクローゼットをあらため、3泊ないし4泊の出張に耐えられるだけの衣料を持っているか確認していたようだ。
無事衣料は確認できたが、ご飯と卵焼きは冷めた。悲しい。
しばらくして、くら寿司に行きたい、と妻と子供が言い出した。
よかろう、予約したまえ。
あとその前にパン屋に行きたい、と妻が言った。
行きたまえ。
代々木上原なんだけど。
行ってきたまえ(遠いな!)。
私は栗を熱湯でふやかし、皮をむき始めた。リビングでちくちくやっていると、残りの家族たちもやってきて、手伝ってくれる。
こういう単調作業は一人でやるのがいい、という私と、誰かと話しながらやりたい、という妻との間で意見が割れた。栗剥きは早く終わった。
妻がパン屋に出かけたあと、なんどかゆでこぼして、渋皮の掃除をするときにまた子供たちが手伝ってくれた。そういえば安売りになっていた栗だと言っていたな、ところどころ黒くなっていて歯触りが悪そうだ。
自転車にまたがり、くら寿司に向かう。妻と合流できた。
席に着くと、ぎゃ、と子供らが悲鳴をあげた。「びっくらポン」が、鬼滅の刃コラボだったのだ。
うちの子たちは鬼滅の刃のアンチである。理由はよくわからない。流行に与するのが嫌なんだろうか。
食べ進め、びっくらポンのわくわくと鬼滅の刃へのアンチが戦い、それでもわくわくが勝っているようで何枚食べたかをしきりに気にしている。
一回だけ当たって、禰豆子のキーホルダーが出てきた。喧嘩になるので私がもらいますからね。
帰ってきて上の子はバレエに行き、私は栗を煮ながら下の子と将棋を指すなどする。
その後長いことピアノの練習にいそしんでいると妻が夕飯をつくってくれた。焼き野菜にしようと思っていたが妻はスープをつくっていた。いずれにせよパンとのマッチを考えての選択である。
パン、スープ、ワイン。これ以上何を望もうか。
子供らが寝たあと、栗の渋皮煮でウィスキーを飲んだ。
あのバーはもうないが、ほんのひとかけらだけここに残っている。形だけ残りドーナツ屋になってしまった場所そのものよりも、あのバーの本質に近いものが残っていると勝手に自負している。