4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

茶杓と数茶碗だけあのころの生き残り

3月2日(土)

朝から準備をする。外出の準備だ。今日は妻の実家で昼食を食べ、そのあと茶会にお邪魔し、あとはずっと酒を飲む。最近ゆっくり休む週末が無かったから完全に自分の時間というのは良いな。

茶道で使う袱紗ばさみが見つからなくて、出発時間の直前にめちゃくちゃわちゃわちゃしてしまった。仕事場、リビング、寝室の引き出しとかをバタバタと 探し回り、結局仕事場の引き出しの奥にあった。

うーん、私の大事なもの、いろんなところに散らばりすぎだな。あとで整理しよう。

妻の実家は、神奈川県にあるが、少し山のほうなので、都内よりも一段寒い。しかも私は茶会ということで襟付きのシャツを探した結果ちょっと薄着になってしまったので、めちゃくちゃ寒い。妻の実家のあったかさが染みる。

大きなひな人形が出ていた。数時間の孫の訪問のために七段のひな人形を出す祖父母。

日々のタスクをできるだけ減らしたいと思っている私とは別の軸で暮らしているんだろうな。尊い。最大限の親愛の表現として標津羊羹を献上した。

昼食はちらし寿司ではなく、ドリアだった。ドリアうまいよな。

昼食の後はお雛様に挨拶をして、私は大学へ。妻の実家から大学への道、つまり妻が学生の頃に通った道である。なんだろう、変なエモさがある。

大学のカフェで友人が待っていた。彼はスイスに赴任していたはずで、3月の一カ月は東京にいるのだという。そのあと4月からはシンガポールなのだそうだ。5歳になる子供は、フランス語のほうが得意なのだという。もう小学生らしい。

やがてほかの友人も集まってきて、部活の場所であった茶室に向かう。一気に20年、戻った。大学のすみっこの茶室に向かう道、ちょっと荒廃した気がする。

アラフォー(あるいはフォー)のおっさんが4人で大学の茶室に乗り込む。さぞ迷惑だろうな。

茶室は20年前と変わらず……と言いたいところだが、さすがにボロが出てきた。空気清浄機がめちゃくちゃ多くて、これ湿度?と聞いたらコロナ対策だそう。なるほどなぁ、いろいろあったんだな。

道具も私たちが卒業したころとはほとんどすべて変わっていて、茶杓と数茶碗だけあのころの生き残りだった。おお、お前、元気だったか!

終わったあとで、大学から駅まで4人とこども1人で歩いていく。これもまたいつぶりだろうな、これからもこんなことやりつづけるのかな、俺ら。

かつて焼き肉屋だったところが昼から飲めるクラフトビール屋になっていて、これ幸いと入っていく。いろいろあってそれぞれに試すが、それぞれにうまい。5歳の子はアンパンマンのスナックを3袋くらい食べていた。枝豆は食いなれないだろう。

子供と1人が抜け、時刻は17時くらい。そのあとは3人で渋谷駅前の山家へ。ここは……何度か来たよな。24時間営業といえば山家である。

昔の写真を見て遊んでいたら、16年前に同じ店に来た時の写真があって、よく見るとなんと全く同じ席だ。同じポーズで友人の写真を撮った。「愛をこめて花束を」だ。実際私はこの友人たちを愛しているし花束を贈りたい。

そのあとまた1人抜け、2人で御徒町まで山手線を半周していく。御徒町の駅前の焼酎の店「金魚」、ここも気になっていた店だ。

「これ以上飲んだら二日酔いになる」という明確な指示が脳からあったにも関わらず、友人に勧められるがまま飲んで最終防衛ラインを突破してしまった。そしてこの時間から一人来るのだという。まじかよ。そしておでんがおいしかった。

4件目は、安定のたきおか。時刻は22時をまわっており、「あとちょっとで閉店だから、23時には出てってもらいますから」と冷たくあしらわれながら入店。この店はそういうのを楽しむ店だ。

食べ物を頼もうとしたら、「ここからここまで全部ありません」と冷静に言われ、残った塩味の煮込みを食べた。うまい。

ふらふらになって家に帰り、寝た。最終防衛ラインを突破してしまったので明日はやばいだろう。