4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

お世話すらできない、というのは完全なる断絶

10月9日(月)

墓参りに行くことにしている。墓参りというとそれなりに身構えるイベントだが、納骨堂であればもはや行くだけだ。

父が他界し、四十九日が終わってから、そういえば墓参りに行ってなかった。秋の彼岸も逃してしまったので、さすがにそろそろ行かねば。

不思議なもので墓参りをさぼっているとよく父が夢に出てくる。父が弟と一緒に図書館のようなところにいて、父に近づかないように言われたのにうっかり近づいたら父だけが消えてしまった夢があった。

いずれ我々も消える。父は67歳で他界した。私はもうすぐ39歳になる。

朝は時間があったので思い切って栗仕事をした。今年も渋皮煮である。

栗は30個くらいあるだろうか、手を痛くして鬼皮を剥いて、ゆでこぼし、掃除し、砂糖水で煮る。

10時から始めて13時に間に合うかなと思ったが微妙に間に合わなかった。

昼食まで家ですませ、目黒に向けて出発。一応事前に調べていったら、花も納骨堂のほうでずっと用意しているようなので本当に持っていくものがない。せめてもの数珠だけだ。

受付で名前だけ名乗って記入し、カードを受け取る。本人確認もなにもない。セキュリティが甘いが、言ってしまえばしょせん墓だからな。悪さもしようがないし、仮に悪さをしようものならもっとひどい何かが待っていそうだ。

カードを入れると父の骨が出てきた。いや、厳密には父の骨が入った箱の表書きが出てきた。一応そこに父がいることを信じて、祈る。

そしたら終わりだ。

墓参り、墓を洗ったり花を替えたりで面倒だなという感覚はあったが、お世話すらできない、というのは完全なる断絶である。「お世話している感」が死者と生者をつなぐひとつの儀式なんだろう。次からはタオルを持ってきてせめて墓石の表面をぬぐってやろう。ぴかぴかなのは知っているが。

帰りがけに目黒のアトレの喫茶店でケーキを食べることになった。私の誕生祝いだ。モンブランの有名な店で、ずっとずっと前に銀座の店に行ったことがある。

私はさんざん栗に向き合ったにもかかわらず、モンブランにした。残りの家族はパフェにした。そして誕生日プレゼントにカメラのストラップをくれた。

めっちゃめちゃかっこいい! 純正のしかなかったので、ありがたい。

パフェたちは凄まじい量で、しかしパフェというのは凄まじい量になりがちだよな。「適量のパフェ」という概念はこの世に存在しないのだろうか。

めちゃくちゃ満腹して帰宅。したがって夕食は野菜スープ。

家族が寝たあとに私はさらに栗を食べた。うーん、甘さが控えめすぎる。砂糖をけちるべきではなかった……毎年そう言っている気がする。