4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

無神主義の我々は状況に感謝するという習慣がなく、それは不幸なことかもしれない。

9月26日(火)

気がかりな状況で寝たため4時台に目が覚めてしまい、うーん、やむなく起きだして作業をする。特に急ぎというわけではないのだが、なんとなく気がせいてしまった。しかし虫になっていなくてよかった。

お陰様でポケモンスリープの睡眠時間も短い。プクリンを入れたおかげで元気に事欠かなくなり、特に週の前半は睡眠を削ってポイントを貯めるのが最適解になってしまっているのが本末転倒である。

気がかりなのは朝の作業だけでなく、今日はきっちりとお詫びが必要なのだ。

いや、私が悪いことをしたわけではなく、社の判断がもろもろの状況に沿えなかったというだけだが、しかし気が重い。

重かったりかかったり急いたり張ったりと、気に左右される日のようだな。

お昼は遠出もできなかったので近所のパン屋でパンを買ってもさもさ食べた。おしゃれパン屋は3つ買えば1000円を超えてくる。体感物価指数が2倍になっている。

詫び案件もどうにかこなし、気が抜けたようになり、ぼーっとしているところに子供らが帰ってきて遊びに行ったりした。元気が一番。

そうか、今この瞬間、私の家族に体調不良者がいない。そして口内炎もない。感謝しよう。

たとえば敬虔なクリスチャンの方だと週に1回礼拝をするだろう。そこで何かしら神様に感謝したりするだろう。無神主義の我々は状況に感謝するという習慣がなく、それはもしかしてとても不幸なことかもしれない。