4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

日々の暮らしを、大切に生きることを修行とする、という教え

1月30日(月)

この日がやってきた。つまり父の四十九日法要&納骨である。

野菜炒めご飯を食べ、子供たちを学校に送り出し、着替えた後しばらくPCをいじくっていると時間がギリギリになったので慌てて家を出た。数珠を忘れそうになった。

目黒まで妻と二人で行く。二人で出かけることなんてめったにない。電車で特に話すこともない。家でさんざん話しているからな……

いわゆる倦怠期ではないが距離感というものはある。

またも冷え込む日で、寒い寒いと手をこすり到着したら、すでに残りの人々はいた。今回は父の妹夫婦はおらず、その代わりに母の兄2名が来ている。わざわざ札幌から。きっと東京に来たかったのだろう。

「東京は札幌と比べてあったかいですか?」

「あったかいね。」

調べると札幌は最高気温がマイナス2度とかである。東京と比べるのもおこがましい。。。

出席者7人のミニミニ法要は30分ほどで終わった。仏様になる修行を7日間×7セット行った。お坊さんにお布施を渡す。前回、お布施の金額を間違えてしまったのでめちゃくちゃ緊張した。あとから言われなかったのでたぶん間違えなかったようだ。

気になったことがあったのでお坊さんに聞いてみた。

「これが『成仏』ですか?」

「はい、そうですね。仏様に成られました」

「このあとはもう、修行はないんですか?」

「うーん、ないというわけはないのですが……」

どうやら座りの悪い質問をしてしまったようだ。ごめんなさい。

曹洞宗では、日々の暮らしを、大切に生きることを修行とする、という教えがあります。ですので、仏の国に行かれたあとも、心穏やかに日々を過ごすことで、修行としている、という風にお考えいただければと思います」

……ッ!

なるほど、そういうことなんですね。一番難しい修行かもしれないですね。

ちょっと本気で感動してしまった。僕も考えよう、修行を。

納骨まで同じ建物で終わるのであっという間だった。遺骨の入ったステンレスの箱が大きな機械に吸い込まれていき、自動で扉が閉まることで納骨となした。これぞテクノロジーである。

終わった後、予約してあった近所の和食屋でランチを食べる。母も弟も大型犬への渇望があって、「わしゃわしゃわしゃってしたいんだよね」と言っていた。それ、いつも私が妻に言い聞かせている話法でもある。血なのかな。先祖の誰かが大型犬に助けられた、みたいな記憶があるのかもしれないね。

みたいなことを話しながら帰ってきた。

帰ってきて、仕事。

夕食はかつてつくった肉みそと、残り総菜の盛り合わせ。我が家ではちょこちょこごはんと呼んでいるやつである。

本当はそのあと仕事をしたかったが、子供が一緒に風呂に入りたがったので、そうする。

最近、子供二人を同時に風呂に入れるのをやめ、順番に入れることにした。いつも喧嘩するからだ。仲良くしなさいという精神論ではなく、20時を過ぎて小さい暑い部屋に3人もいるとイライラしようものだ、という構造的原因があると思った。

それにより確かに喧嘩はなくなったが私はのぼせる寸前である。

のぼせる寸前から、再び仕事に戻った。22時にいきなりPCの画面に「おやすみなさい」というポップアップが出て、ウィルスかと思って非常に驚いた。