4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

身の回りのことを自由研究にする、そのプロセスにカタルシスを感じてしまうんだろう?

8月10日(木)

旅行から帰ってきた翌日だが帰ってきたのが朝なので比較的普通の日だ。

それどころか仕事がある。

そして私以外の家族は休みだ。

朝のうちに動物病院に行き、犬を受け取ってくる。4日ぶりに家に帰ってきた犬は心なし寂しがりになっていたが、元気でよかった。

そして17,600円かかった。高い、やはり実家を頼ったほうがよいのではないか。

今日は自由研究をする日らしい。二人とも図書館で借りてきた自由研究のネタ本を参考に、上の子はジュースと牛乳パックで浸透圧の実験をする。下の子は果物を茶色くしないために酢とか塩水を塗る実験をする。

面白い、面白いが必然性がない。本を読んで決めたので必然性がないのは当たり前だ。だが俺たち大人は、子供の自由研究に、中身の新規性や面白さよりも、必然性というか、ストーリー性を求めているのではないか?

甲子園に甲子園らしさを求めるのと同じで大人のエゴかもしれない。でも本当はそうなんだろう? 身の回りのことを自由研究にする、そのプロセスにカタルシスを感じてしまうんだろう?

まあ、ちゃんと終わらせるんならなんでもいいか。

そして二人ともジュースあるいは果物欲しさにその研究を選んだのではないか、という気がしなくもない。