4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

noteで日記を1000日書いてわかったこと

2019年の4月19日からnoteで日記を書き始めて、1000記事になりました。

厳密には1000日というわけではなく、一日に日記と別の記事を書く日も数日あったのでもうすこしで1000日だと思うけど、まあだいたい1000日としておきます。日記自体はnoteに移行する前から少し書いていたのでそれを合わせると3年ちょっととなりますね。

1000日分くらい日記を書いてみてわかったことを箇条書きにするので、日記に興味がある方がいたら参考にしてみてください。

よいこと

過去がわかるので便利である

まずは過去のことがわかって普通に便利だという話。

例えば、「おととしのクリスマスにはサンタさん何くれたっけ」とか、「前にあの寿司屋にいったのいつだっけ」とか、「これ買ったのいつくらいだっけ」とか、「あそこに遊びに行ったときにどこで何食べたっけ」とか、そういうのがわかるので便利です。

まあ、だいたいは、わからなくてもいいことなんですけどね。家族や友人と「あの時どうだっけ」みたいな話になったときに、ちょっとだけ役に立ちます。

最初に言ってしまいますが、わかりやすく役に立つのはこのくらいかな。あとはタイピングが早くなるとかはあるかもしれないけど。

重要な日のことを主観で思い出せてよい

普通に暮らしていても、年に数回は大きな出来事に遭遇するものです。そんなときに、単に「何があったか」だけでなく「その時自分がどう感じて」「なにを考えたていたか」というのが主観で思い出せるというのはとても面白い。記載された内容だけでなく、文面から感じられる心の動きも多い。

いわずもがな、子供のようなすぐに移ろいゆくものと暮らしていればなおさら。

たとえば2019年8月10日。この日は妻が帰省中に突然救急車で運ばれ、私が子供たちをつれてホテルニューオータニに行って花火を見るというドタバタの一日であった。明け方から夜まで繰り返されるバタバタ、吐き狂う下の子、ホテルの絨毯の上で寝てしまう私などディティールが再現されてよい。

たとえば2020年2月25日(水)。この日は新型コロナウィルスのはしりで、会社から急きょ「明日から完全にテレワークです」という指令が出た日であった。仕事のことなのであまり深くは書けなかったが、たまたま夕方に部下が全員会社にいたので会議室に集めて「はい、明日から出社してはいけません。みなさんさようなら」をやったのを思い出す。そういえば私はここでガジェット熱が高まり、Surface Goを買ったがCPUが弱すぎてすぐに手放したのだった。同時に買ったsimはiPad mini 6の中で元気に動いてます。

そしてなんといってもこの間のクリスマスイブである。私自身は過去にクリスマスイブに胃腸炎で倒れたことはあったが(残念ながら日記を書き始める前である)、今年は父が余命宣告を受けるという、さんざんにもほどがある一日であった。

これは現在進行形で進んでおり、すべてが済んだあと(済んだあと!?)読み返すのが楽しみでもある(楽しみ!?)。

うん、まあとにかく父には可能な限り安らかに過ごしてほしいと思うばかりだ。週末はちょいちょい実家に帰ろう。

という具合に、日記を読むと、こういう曲がり角の日々が、「事実」としてではなくその中に生きていた感情として思い出されるのがとてもよい。

日々を見る目が細かくなる

インフルエンサーの皆様が「これを上げたらウケるかな」と考えながら世界を見ているのと同様に、あるいはカメラマンが「これは撮れるかな」と想像しながら暮らすのと同様に、「これは日記に書いておいたらいいかな」と考えながら日々を観察するようになったので、よい。

今この場で「この状況が面白いか」だけでなく、「未来の自分にとって面白いか」を考えながら日々を暮らすので、「今のやりとり面白いな」と面白がる視点が増えるのだ。

実際は「あ、これ書けるな」と思ったエピソードの1割くらいしか書けてないのだが、それでも毎日の暮らし、子供との暮らしに対するいつくしみが増したように思う。

よくないこと

時間がかかる

なにしろ日記を書くのには時間がかかる。1記事あたり20分くらいかかるので、年間のうち約5日は日記に費やしていることになる。

このすべての時間をピアノの練習や英語の学習、AIやUXデザインの勉強などに投じていれば、と思うことはある。

ピアノや英語はともかく、仕事なんて辞めてしまったら何の役にも立たない。日記は死ぬまで役に立ち続ける。そう思うと今は投資フェーズであり、老いてから回収していけばよいのだ。

日記を書けないと罪悪感がある

毎日の分を書くが、毎日書くわけではなく、ほんの1日くらい、溜めてしまうこともある。連続投稿記録は190日くらいだった。

先輩と焼肉を食べていたら24時を過ぎてしまい、146日の連続投稿記録を途切れさせたこともあって悲しかった。2020年1月15日の出来事である。

そういう時は「ああ、日記書いてない……書かなきゃ……」というプレッシャーが訪れる。これはあまりおいしいものではない。

やめどきがわからない

いまのところやめるつもりはないが、1000日も続いてしまうとちょっとしたものであり、やめどきがわからない。

一気に手を引くか。しかし自分の人生が記録されていない状態に戻っていくのは、それはそれで怖さがある。

人気者にもインフルエンサーにもならない

これは内容の問題かもしれないが、1000日も日記を書いたからといって誰かから褒められることもなく、社会に対して影響力を持つでもなく、ただただ自らの満足を高めるだけでした。

6秒程度の動画で数万人にちやほやされる世界の対極の果ての果て。

しかしこれはSNS上の影響力という安易な指標に流されずに、誰かのためではなく、とにかく自分にとって大事なことをしろという戒めとして私はとらえています。

それでも日記を書き続ける

という感じで、よくないことや面倒なこともそれなりにあるんですが、私はそれでも日記を書き続けます。当分は。

来年は子供だけでなく、父のこと、仕事のこと、たくさん曲がり角がありそうなので、今まで以上にできるだけ主観で細かく書いていきたい。

WEB3.0の到来を待つまでもなく、インターネットは、本来自由です。一個人がパーソナルに吐き出していくばかりの、こういう場所があっても許されるでしょう。

来年もどうぞよろしくお願いします。

あとnoteは公式エクスポート機能をつけてください、お願いします。1000日間がnoteと一緒に消滅するとか辛すぎる。