4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

父の話 0

12月23日(木)

翌日の朝いちの資料が終わっていないので、残業をしていた。BGMでYouTubeでジャズを流していたら、「Plastic Love Official Video」という動画が流れてきた

私がまだ小学生くらいのころは、実家の近所にスーパーもなく、車に乗る機会が多かった。母が運転免許を取得したのは私が塾に行き始めた小学4年生のころだから、その前は父が運転し、私が助手席、後ろに母と弟(当時は妹)という編成で買い物に行っていた。母が運転するようになってからは、母と私の2人で車に乗ることも多かった。

そしてある時期、車内のBGMが竹内まりやだった。

その歌手が「竹内まりや」だということはカセットに書かれたボールペンの字で理解し、メロディと歌詞を部分的に覚えていたが、彼女の歌世界を理解するにはあまりに幼すぎた。

そのころの父と母に何かがあったのかは、今も知らない。男女の心の襞をそっとめくっていくつややかな歌声だけが、私の記憶に刻み込まれていく。

やがて大人になり、実家を出て、再び竹内まりやの楽曲を聞くようになった。当時リピートされていたのはImpressionsというベストアルバムであることがわかった。発売時期からするともしかしたら母が車に乗り始めたころにリピートしていたのかもしれない。レンタルして聴いてみると、「けんかをやめて」から「駅」まで、流れるように全曲歌える。その後、会社員になってから頻繁に行くようになったカラオケでもよく歌った。

1984年にリリースされた「Plastic Love」は、このベストアルバムには収録されていない。大人になって、彼女の曲をいろいろ聞いてみて、そのあとで知った曲である。2019年頃にアジアをはじめとする世界中で日本のCity popが人気になり、その中心にあったのがこの曲であることはぼんやりと知っていた。最近になって若い監督が改めてMVを制作したのだそうだ。

竹内まりやの生年は、1955年。この曲は竹内まりやが29歳もしくは30歳のときにリリースされた。

私の父も同じく、1955年生まれ。そして「Plastic Love」と同じく1984年にリリースされたのが、私だ。

だから何だと言われればそれまでだが、何か因縁めいたものを感じて、何度もリピートして聴いた。

私の両親は、私によって膨らんだ母の腹をなでながら、あるいは間もない私が寝付くのを待ちながら、この曲を聴いたりしたのだろうか。

深夜に、資料はどうにか完成した。