4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

多様性を受け入れるのではなく、特定の暮らし向きをする人をあつめて集積の理論を利かせている

5月14日(日)

そういえば金曜から土曜にかけて、仕事場のゴムの木が元気を失っていた。葉っぱがしなだれ、触るとふよふよして見るからに生気がない。

金曜の夜にピアノに行く前に気がつき、そういえば土曜に水をあげ忘れていたと気づいて、あわてて水をやった。ピアノから帰ってきてもふよふよのままで、しまった、と、とりあえず朝陽を浴びやすい玄関先に出しておく。

ゴムの木はコロナよりずっと前に買い、コロナ禍で会社に置き忘れていったん葉を多く落としたがそこから再起して、昨年大きな鉢に植え替えてそろそろ1年になる。ずっと私と仕事をしてきたいわば仕事仲間だ。

土曜の朝、あわてて玄関先に飛び出すと、葉っぱはどれもシャンと伸びきって、触ってみるとはりはりしている。よかった……

妻がプチパンを焼き、私が残りのおかずをつくる。

豆スープが飲みたくてひよこ豆をふやかし、スパイスだの塩だのハーブだのをあれこれ足したり引いたりしていたがなかなか味が決まらず、最後にしょうゆをひとたらししたら完璧になった。和方面に落ち着いた。昆布を入れたからだろうか。

義弟の家に行く日だ。電車をのりつぎ、初めてつくばエクスプレスに乗る。最近できたと思っていたが開業は2005年。まじかよ……

義弟は「流山おおたかの森」に住んでいる。彼の奥さんはまもなく第一子を出産予定だ。

流山おおたかの森に行くに際してかなり、かなり身構えた。若い人たちにとって住みやすく、子育てしやすく、人口急上昇中の街として人気だからだ。

駅から義弟の家まではバスで10分ほどかかる。メゾネットの長屋方式で、決して広いとは言えないが、隅から隅まで綺麗だった。

大人しか住んでいないと家はここまで綺麗になるのか……

しばしバウムクーヘンなどを食べて生まれてくる赤子について語らったのち、子供らのリクエストにこたえる形で寿司を食べに行く。

流山おおたかの森S.Cには寿司屋だけでなくあらゆる業態の店が幅広くそろっており、暮らしやすさを煮詰めたような施設である。向かいには大型の病院もあるのだという。たくさんのベビーカーが行きかい、老若男女がそれぞれのさまざまな欲をここで満たしている。

はっきり言います。無理です。私には無理。

ここでは「流山おおたかの森S.C.」以外の選択肢が許容されていない。住みやすいということは多様性を受け入れるのではなく、特定の暮らし向きをする人をあつめて集積の理論を利かせている側面が強い。

私自身こだわりが強いほうでは決してないが、なんというかこう、みんなで同じように暮らしましょう、という流れには徹底的に歯向かいたいぞというファイティングポーズはあるのだ。

そんなS.C.をしかし観光地としてとらえ、うろうろしていると、なぜか人生ゲームを買う運びになり、当初はコンパクトサイズだったが小さいのよりは大きいほうが文字も読みやすくてよかろうと大きいドラえもんのを買った。

帰って夕食に野菜を食べる。野菜が大量に余りそうだったのでひたすら大量消費の一心で、新じゃが、ズッキーニ、ナス、白菜をオーブンでがりがりに焼いて、あとは鶏と野菜の混ぜご飯にする。

下の子は最近、「笑いのツボに入る」という知的行為を覚えた。一度笑い出すとゲラゲラゲラゲラと延々と笑い転げている。これも一つの成長なんだろう。間違いない。

ちなみに大きければ字も大きくて読みやすかろうと買ったドラえもんの人生ゲームは、大きい分だけ細かい字が多い、という代物であった。