4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

「どの駅で降りるの?」「ハッピーセット!」

5月5日(木)

大学時代の友人の子供らはうちの子供らも歳が近く、生まれたときからよく顔を突き合わせて物心つく前から遊んでいる。

コロナ禍になり子供同士顔をあわせる機会も全然なかったがそろそろ会っておかないとお互い忘れちゃうなということで、みなでお台場に潮干狩りに行くことにした。

我が家は前日まで温泉にいたので準備がまったくできていず、朝からビーチサンダルを求めてホームセンターに行くがなく、ダイソーに電話をして在庫を確かめ、買いに行くなどした。

ダイソーでは確かにビーサンが100円で買えた。何につけても物価上昇がとりだたされる昨今だがビーサン100円というだけで「まだまだ日本は元気だ」を感じてしまう。

昼食に雑につくった塩やきそばを食べ、出発。初夏と夏の間くらいの気味の良いお日柄である。

最初についてしまったので数家族分の日陰になる場所を確保してだらだらしていると、我々以外の全員が一緒にやってきた。

子供らは数年ぶりなので覚えているのか不安になったがすぐに思い出したようだ。子供には「一息つく」という概念がないので、全員集合するやいなやビーサンに履き替えて海へ走っていく。

潮干狩りというか、確かに貝は多少あった。ここ数日で何度もほじくり返されているだろうが、各家庭のバケツの中で足をにょきにょきのばしたりしている。

私は一通り写真を撮影したのち、荷物番をしながらお台場のビーチを行きかう人々をぼんやりと見ていた。

大きなクラブミュージックの音がして、両腕を入れ墨で埋めた数人が通りかかった。我々から少し離れたところで、スピーカーを海岸に置いて座り込み、何やら話している。

そして彼らはマスクをしていない。

マスクをしていない人が少し増えてきた印象がある。そしてそれがある種の「反抗のシンボル」になっているのが興味深い。たとえば制服を着崩したり、車を改造したりするような、規範からの逸脱による示威行動になっているのが面白いな。

そんなことを感じるくらいにはマスクは我々に根差しすぎている。

15時ころに公園に移動し、子供は遊具で遊び、大人はコンビニでビールを買ってきて飲み始めた。とても、とても穏やかな祝日。

帰りみち、こどもたちはそこそこ混んでいるゆりかもめの人込みをかきわけ、先頭車両の先頭に陣取ってた。私はまだ2歳である男の子と、彼を抱きかかえる私の友人と話した。

男の子はお母さんに抱っこされ、彼女の胸をぐにゃぐにゃともみしだき、

「おっぱいさわっちゃった!」

と混雑した電車で公然とセクハラをかまし

私が「どの駅で降りるの?」と訊いたら、

「……(考えている)……ハッピーセット!」

と宣言するなどしておりとても心穏やかになった。駅前のマックでハッピーセットをよく買ってもらっているのかな?

最年長の子供は私の上の子の一つ上、もう10歳になる。4年生なので塾に通わせているのか聞いたら安定のSAPIXであった。数駅電車に乗って送って行っているのだという。

そういう時期になってきたよなぁ。

彼の家庭はカレーをつくってきたとのことで、私も家に帰ってから夏野菜のラタトゥイユカレーを作って食べた。こういう夏の走りの夕食はカレーに限る、が私ひとりでは気づけなかった。気づかせてくれてありがとう、友よ。