4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

体育があるかないかじゃなくて、コップかそうじゃないかを伝えてくれ

2月14日(月)

妻とランチに訪れた焼き鳥屋で、珍しく奥に通された。

その店は手前に8席ほどのカウンターがあり、その奥にテーブルが2席ほどあり、一番奥は小上がりになっている。周囲のあめ色に沈んだ壁の木材と同じ色のテーブルが畳の上にあって、しょうゆや山椒が置かれている。

妻と向かい合って小上がりに座る。

ランチなので頼まないが、瓶ビールが似合う。2019年までは、たまに仕事終わりに同僚と飲みに行って、場合によってはこういう店のこういう席で焼き鳥をかじったり青菜のお浸しをちょこちょこ食べたりしていたんだな。

すべては遠い昔の出来事……

しかし小上がりは落ち着く。我が家のリビングにも畳スペースがあるが、まったく落ち着く感じがしない。いったいなぜだろう、と考え、すぐにその理由はわかった。

ちゃぶ台である。ちゃぶ台が必要だ。

想像してみてほしい。そこには2畳ほどの小さな畳の空間があって、座布団がしいてある。真ん中に小さなちゃぶ台があるのと、ないのと。圧倒的に落ち着きが違うだろう。

単にモノが置けるというだけではない。おそらく、畳に座るというのは体のバランスとして比較的不安定であり、ちゃぶ台は支えとしての役目を果たしているのではないだろうか。

畳の神髄はちゃぶ台にあり。

家に帰って、子供部屋にあるテーブルをリビングの畳スペースに置いてみる。ちょっとでかい。アウトドア用の折り畳みテーブルを置いてみる。少し頼りないが、まあいいか。おいおいちゃぶ台を仕入れよう。


朝食はパン、なんとなく残っていたパンを全部温めて食べる。塩バターパンはオーブンで温めるのが正解に近いが、少し乾いてカサカサになるのだけがよくない。

卵がもう3つしか残ってない。スクランブルエッグ、トマトときゅうりのサラダだけようやく作り出す。

子供はまた、「体育がない日は水筒のふたを直飲みではなくコップのやつにしてほしい」と言い出した。これ面倒なんだよなぁ。朝に確認することが一つ増える。おまけに「今日水筒どうするの?」と聞いたら「ない!」とか答える。ないって、どっちだよ!(体育がない、ということらしい)

「ない」⇒コップ
「ある」⇒直飲みタイプ

むずかしすぎる。とりあえず体育があるかないかじゃなくて、コップかそうじゃないかを伝えてくれ、と言った。


夕食に牛肉の醤油煮を出した。少し塩辛くなったので子供らの皿から少しずつとりあげてやる。そのまま食べ終わって、ごちそうさまをした。

いやなんか少なくないか? 足りた?

もう8歳とかなので、大人と近いカロリーをとるべきなのだが、いつまでも「子供は大人の半分」という感覚がある。

子供の食べる量にむらがあって、パンだと大人と同じだし、ご飯だと大人の半分なのが難しい。子供はどのくらい食べるのが正解なのかは誰も教えてくれない。