4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

親戚全員平服で来た。法事に。

7月3日(月)

5時45分、いつもよりだいぶ早起きをする。高校生みたいな黒いズボンに白いシャツで、ちょっと恥ずかしいのでジャケットも来て、リュックに手土産を詰めていく。

飛行機に乗るのはずいぶんと久しぶりな気がする。いま羽田の検査、かばんからPCを出さなくても大丈夫なんだな。すごい時代になったものだ。そして朝食に蕎麦。空港にいる人たち、よく朝から蕎麦食うよな。自分もそうだけど。

良い天気で、飛行機もよく飛んだ。新千歳空港で母と待ち合わせて、電車で札幌に向かう。本当は車でも借りたいところだがな。

札幌からさらに一駅、琴似駅がずいぶんと古めいて大きい。写真を撮る。そこで伯父さんと待ち合わせ、車にゆられ、祖父のお墓へ。伯母さんもずいぶんと頭が白くなった。ま、私もだけどね。

「平服で」と言われていたが念のため黒白のいで立ちで来たが、ほんとに親戚全員平服で来た。法事に。

墓前でしばらく待つとお坊さん……ではなく尼さんが来た。母方の実家は真言宗だった気がするが浄土真宗の尼さんであった。

浄土真宗の御経はずいぶんと歌っぽい。おまけに尼さんがめちゃくちゃ声が良く、演歌歌手のようであった。演歌っぽいお経を平服で聞く。法事というよりはリサイタルのほうが近い。

ワンマンショーが終わり、近くの割烹屋で昼食。公に書くようなことではないが、母方の親戚はいろいろあったのだなあ。

さらに自動車を南の方に走らせ、祖母の入院している病院へ。

祖母は1923年7月31日生まれ、99歳と11か月である。もう長いこと老人ホームに入っており、ここしばらくはモノを食べたりできていず、とうとう脱水して一時期やばいとなって病院に搬入されたが、そこで点滴をして、ふたたび目に光が戻ったのだという。

祖母はベッドに横たわっていた。話しかけると、か細く、高い声で返事をしてくれる。

「おばあちゃん、拓也だよ。わかる?」

「ずいぶんときれいね」

「何が?」

「着物」

Tシャツのことかな。確かに絵柄が描いてあるTシャツだった。

彼女はすでに自分の3人の子供のこともイマイチ覚えていないが、それでも人がたくさん来ている状況を「めずらしいねぇ」と言っていた。肩を撫でるととても微笑んでいる。0歳から99歳まで(もちろんそれ以上でも)どのような状況にあってもスキンシップというのは最も重要なコミュニケーションであろう。

元気と呼んでいいのかわからないが、「苦しそうではない」というだけで元気としてよいだろう。元気そうでよかった。写真を撮らせてもらった。ばちっとピントを合わせられてよかった。こういうワンアンドオンリーな場でマニュアルフォーカス写真を撮る恐ろしさよ。

親戚一同および母と別れ、ホテルにチェックインする。端正でこぎれいなホテルだが、月曜の平日に一泊18000円というのはやや解せない、いやそれを選んだ私の問題ではある。

北海道庁に行ってみる。建物は修繕中であったが庭はあり、役所とは思えないほどしっかりとした庭、あるいは森のようなものがある。すごい……!

ホテルの斜め向かいのビルの上に江別市のビールが飲める店があって、そこでしっかり飲む(店主が若い女性と常連をメインカウンターに誘導し、一見客を隅のカウンターに誘導しているさまが目についたが、それもまた人間の業だろう)。

20時を過ぎてもまだ少し明るいのがうれしくて、店の窓から何度も写真を撮ってしまった。

そして2件目にショットバーで、桃のカクテル、ウィスキーを飲み、倒れるように寝た。