4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

土曜に校長先生の電話を受け、ガス栓の場所を指示する

12月9日(土)

どうにか疲弊して一週間を乗り切り、PTA総会というものがある。土曜なのにゆっくりさせてもらえない。来年はPTAを降りよう、そうしよう。これは持たない。

昼食を食べたあと、総会に向かった。スリッパを忘れていって、途中で戻ろうとしたがやめた。PTA用のスリッパがあるんだった。

PTAの存在が未だに測れずにいる。小学校の会議室に行くと、歴代のPTAの会長がまさにお歴々というかたちで額に入って飾られているのだ。そんなに公式な団体なのか? そのくせボランティアだし??

お歴々の写真が飾られるような公式団体の存続がただでさえ忙しい地域住民の善意で成り立っているのは真なる矛盾である。

PTAスリッパを履いて家庭科室の会議へ。

PTA総会はめいめいの活動報告を20秒くらいずつ行って、15分くらいで終わった。さて帰るかと思った矢先、年末なのでこの後懇親会があります、お茶とお菓子を用意してるのでぜひ、とのことだ。

ほう。せっかくなので、もうしばらくいるか。

どこからかアルフォートとかキットカットなどのそれ系のお菓子と、緑茶ならびにカフェオレが出てくる。ところがお湯が無い。

PTA総会に参加されていた校長先生が家庭科室をかけまわってガスの元栓を探し、見つからなかったので誰かに電話して場所を聴き、ガスをつけてお湯を沸かした。土曜に校長先生の電話を受け、ガス栓の場所を指示するというのは教員の業務としてどうなんだろう。私なら電話を切った後に「なんだよこれ」って叫ぶと思う。

集まっていた人々の話は軒並み面白かった。

小学校の先生のなりてがどんどん減ってきていて、倍率も今や1.1倍になっている。担任不在のクラスもある(実際いま下の子のクラスは担任がいない)。教科別担当も進んできたが、それはむしろ「やむなく」という事情に依る。教員の育休もある。

校長先生は、PTAについては「みんなボランティアなんだから、やれる人が、やれるだけやればいいんですよ」とのことだ。

それだよ、そのマインドだ。毎年やることが変わったってかまわないだろう。写真を額縁に入れるような大層なものである必要はない。もう、昭和の時代とは違うのだ。

なので私が今年、広報誌を実質廃止し、パワポに写真ぺたぺた貼るかたちに変更したのは高く評価されているらしい。

お茶とお菓子を食べながら「パトロールは廃止しましょうね」という話で盛り上がった。正直何の意味もないパトロールだからな。

誰かが善意でやり始めたことが無駄に伝統化し、数年、十数年にわたって人々をモヤモヤさせる。これが社会、これが集団生活……!