2月8日(火)
テーブルに上に小さな紙きれがあり、そこに
「ラーメンをちゅうもんして食べる。」
と書いてある。上の子の字だ。
この間リビングで発見して、何に使うのか上の子に聞いてみたが教えてくれない。ラーメンをちゅうもんして食べる、と書かれた紙がすごくよかったので写真を何枚も撮った。
わたしたち大人にとって、ラーメンをちゅうもんして食べる、というのは造作もないことだ。おそらく人生で200回はやっただろう。いや500回くらいやったかもしれない。
しかし上の子は、ラーメンを注文したこともないと思うし、ラーメン屋に行ったことも数えるほどしかないはずだ(ラーメン屋の椅子は子供には総じて低いし、子供用のラーメンというものがない)。
この子たちの前には、ラーメンを注文して食べる、あるいはラーメン屋、いやラーメンという海が、まだ誰にも侵されずに、ひろがっているのだ。
子よ、店のラーメンは塩辛いぞ。覚悟したほうがいい。
朝食は冷凍庫に眠っていたパンを焼いて食べる。私の知らぬところで、近所のもっとも格が高いパン屋でレーズンパンを買って食べていたらしい。
誰がどのパンを食べるのがすこしひやひやしたが揉めることなく食べた。揉める時間もなかった。子供たちはバタバタと家を出ていく。
妻は午前中に仕事に行き、午後に病院にいくらしい。
詳細は差し控えるが気になることがあるとのこと。私も気になっているので、いってきてくれ。
仕事が先週でひと段落したと思いきや、今日も二つも大きなミーティングがあって疲れてしまった。昼食もゆっくり食べる時間がなく、しかし松屋もこの間行ったばかりで、家から一歩出て、あ、やっぱり家で食べよ、となった。
家に作り置き常備菜があることはすばらしい。飽きはあるが、それを差し置いてもうまい。
夕方になって妻が帰ってきて、多分大丈夫だったけど、気づいた時点ではわからなかったから気づけてよかった、と言っていた。なにしろよかった。健康が一番である。
昨日もおとといも、家からほとんど出ていない。運動せねば。
(という想いが翌日、悲劇を生むことになる)