4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

リターンを顧みずただ嫌がるというのは真の嫌がり

11月17日(金)

こんなエントリを読んだ。

家族やプライベートを犠牲にして仕事や実績を得ていたことから目を背けられなくなった件 - 人間とウェブの未来 新型コロナウィルスの影響によって、急激に働き方が変わってきた。コロナ禍の初期、大体1年目においては、まだタイトルのような「 hb.matsumoto-r.jp

残業、夜のセミナー、出張。あるいは会食。いずれも仕事に不随するものであるが、基本的に定時から外れた仕事というのはその分の家庭負担を誰かに強いることでなりたっている。

昼間の1時間と残業の1時間、同じ1時間だが後者のほうは裏側の家庭担当者の時間もあわせて拘束しているのであって、社会全体から見た生産性は半分になっているともいえる。

出張などはなおさらだ。妻が1週間出張に行くと、その分私の家の負担が高まり、仕事できなくなるので、妻の出張には妻本人の稼働分+私の生産性減少分のコストを払っていることになる。

そう考えるとよく欧州との比較で日本がとりだたされる「平均労働時間が長いが国としての生産性が低い」というのも当然の話で、社会で合意できている労働時間からはみ出した分は場合によっては倍近いコストを払っているわけだから社会全体の生産性は低くとどまるわけだ。

とはいえ仕事量が定時内では終わらないのだとすると、平日の朝や夜みたいな家事のゴールデンタイムに残業するのではなく、各々がしやすい時間に残業するのが最適解になる。たとえばこれを書いているのは土曜の昼間だが、子供たちの相手をする必要もないので仕事に充てるには最適だ。

そんなようなことを考えた。

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昨日炊いたご飯が残っており、子供たちは「えー今日ごはんか、やだなー」と口々に言っている。

パン、ごはん、パン、ごはん、と続いていくしきたりだからそんなにわかりやすく嫌を出したところで詮無い話ではあるが、むしろ嫌がることによるリターンを顧みずただ嫌がるというのは真の嫌がりともいえる。

よし、ならばチャーハンにしてやろう。

レタス、残っていた鶏ハム、適当に野菜を刻んでチャーハンに。こうすると食べるんだよなぁ。

フライパン1個でできる。子供たちも食べる。作るもの簡単だ。野菜も肉も食べられる。これ以上何を望む?

チャーハンを食べて子供たちは学校へ向かった。妻も仕事に向かった。

コーヒー屋で店主に標津羊羹を強く勧めておいた。そしてグアテマラの豆を買う。グアテマラについて私は何も知らない。

昼はパン屋でパンを買ってくる。欲望のままに、カレーパン、クロワッサン、クリームパン。

下の子がテストを持って帰ってきた。100点。よし!

「でもこのテスト、裏に答えが書いてあるんだよね」といって裏を見せてくれた。確かに裏にばっちり答えが書いてある。裏を見ないでくださいね、という感じのテストだったらしい。

お前は何のために生まれてきた?

夜になりピアノのレッスンがあったので行った。アドリブは最初はよくできたが2回目で失敗し、クリアは持ち越しとなった。イントロとエンディングを固めて来週しっかりやろう。

しかしピアノの先生も標津羊羹を気に入ってくれたようだ。

標津羊羹の人! おれはがんばっているよ!