4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

「それぞれのてっぺん」を目指すことができる組織設計

11月12日(金)

心がこもったツイートをした。

本当に心がこもっていて、毎日このことを考えている。

いろいろな制度が整備されてきて、育児をしている、介護をしている、からといってマイナスの評価を被ることはなくなってきた。

しかしそれはあくまで「マイナスにはならない」というだけで、半分の公平性でしかない。最強体になる=(特に他の人と比べて)圧倒的にプラスにしていくためには、当然ながらそこから先の自分の努力が必要になるし、そのための時間もリソースもない。

結局、家族をもたない人、家庭にコミットしない人が勝つというのはずるいなあ、とここしばらく思っていたが、逆から考えてみるとそんなこともないことに気づいた。結婚したくてもできない人、子供が欲しくてもできない人、そういう人だってたくさんいる、そういう人たちからすると、子供もいる、家庭もある、その楽しさを十全に享受しながら仕事でも100点以上を目指すなんて、端的に、ずるい。プライベートを犠牲にして仕事をしているんだから、二刀流よりも上に行きたい。

それも確かにそうだ。

私が家事をやっている、育児をやっていることが、自由意志によるものかはとても判断が難しい。妻にすべてを押し付けて1日14時間働く、勉強することはできるだろうか。

逆に、プライベートをすべて捨てて仕事や勉強に奉仕する人は、自由意志によるものだろうか。

案外、それぞれ、それぞれの事情と運の中で、できる最大のことを頑張っているだけではないだろうか。

だとすると組織として用意すべきなのは、一次元的な評価尺度ではなく、多様性を包摂し、どの立場を強いられていたとしても、「それぞれのてっぺん」を目指すことができる組織設計なのではないか。

すべてをなげうって(あるいはなげうたざるを得ない状況下で)仕事に邁進して得られる「てっぺん」、家庭と仕事を高い水準で両立することで目指せる「てっぺん」、副業も含め多様なフィールドで活躍し複眼を身に着けることで目指せる「てっぺん」、など。

実際には一人一人のコンディションによって強いられる状況は変わってくるとはいえ、少なくとも数本のキャリアパスイメージを描き、それぞれにてっぺんを描いてやることが重要なのかな、と思う。

そんなことをピアノの帰り道に考えながら帰ってきた。

-----

妻がバゲットに再チャレンジし、今度は天板を上の段において焼いた。上からの火を強くすることでクープを開かせようということらしい。

バターを乗せるというチートを使うと必ず開くというので、バター乗せもいくつか用意して対比実験をする。

結果。いままでのように下側がばっこり開くということはなく、バターを乗せたクーペは綺麗に開き、そうでないものもそこそこよく開いた。

これで今後も早起きを継続できる。

下の子が遠足だった。一度雨で延期だったので、とてもよく晴れた日でありがたい。

昼飯の「鯛カレー」を食べて仕事をしていると子供らが帰ってきて、そのあと公園で遊んでいたので仕事の休憩がてら私も見に行った。子供の友達たちが「おとうさんだ!」といって寄ってきた。下の子は恥ずかしくなったのか私を家のほうへ押し返した。

公園が近所にあってよかった。

夕食にカレイの煮つけを解凍し、野菜炒めと一緒に食べる。子供らは疲れ果てていてほとんど箸をつけなかった。

ピアノの先生が結婚したことをTwitterで知っていた。厳密には入籍はもうだいぶ前にしており、結婚式だけ10月に挙げることができたのだという。

家じゅうをひっくり返してお祝にになるようなものをさがしたが何もなく、妻が「標津羊羹でいいんじゃない」と言ったのでそれにした。

一口サイズの標津羊羹を二つまとめて、リボンを結んで、あげた。安物ですが、と。実際ひとつ200円もしない。でも珍しさでいえばそれなりにある。そして旨さは最高だ。

喜んでもらえた。大好きです、とのこと。ほんとうかな。