4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

「食べて応援」は私はそう思わない。

6月23日(水)

朝食:フランスパン、ゆで卵崩れのマヨネーズ、きゅうり、カボチャサラダ

カボチャを茹でるときに横着して一緒に卵を茹でたら早すぎてグジュグジュであり、アボカドを割ったら早すぎて泣く泣く捨てた。どうにもせっかちな朝である。

昼食:鰻重

結婚記念日からずっと行きたかった鰻屋にとうとう入ることができた。

夕食:ナスのミートソース重ね焼き、ゆで野菜のサラダ

ナスとミートソースを三層に重ねてチーズを乗せ、オーブンで焼く。チーズがたくさん乗ったナスが子供同士で取り合いになるところまでがセットだ。

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どうしてうなぎを食べるの、絶滅危惧種なのに、と上の子が聞いた。このところ彼女はうなぎに対して非常に敏感である。

確かによくわからんな。生協から届いた紙類の中に「食べて応援」と書かれたプリントがあったので一緒に読む。どうせ食べるなら、ちゃんとうなぎのことを考えている人たちからうなぎを買いたいよね。と言ってみた。

それでも納得がいってないようで「一番偉い人が、うなぎを食べちゃだめ!って言えばいいのに」とのこと。一番偉い人ってのがいないんだよ。

しかし文化の積み重ねである、以外にうなぎを擁護する言葉が見つからないのも事実だし、「食べて応援」なる言葉が全く飲み込めていない自分もいるのだった。

「食べて応援」は私はそう思わない。力強く上の子は言う。

うなぎのプリントを読み、せっかちが作った朝食を食べ、子供達は元気に出て行った。

それなのに君たちの両親は鰻屋に入って3000円の鰻重を食ったのだ。

長屋の細い入り口をくぐり、さっきまでおばちゃんが座って通せんぼしていた狭いカウンターの脇を通って2階に案内される。4人がけのちゃぶ台が2隻。ちゃんとアクリル板で仕切ってあるのだった。奥のちゃぶ台につく。

うなぎはうまかった。圧倒的にうまかった。矛盾を理解しつつも「あー、食べて応援ってことでいいや!」と落ち着けてしまいたくなる気持ちもわからんではない、というほどにうまかった。飲み込めていない上の子の顔が浮かぶ。これが背徳の味である。

子供達が6年生と遊んでいる。何か嫌なことをされていないか、面倒に巻き込まれないかが心配だが、本人は至って楽しそうに遊んでいるのだった。

私は小学校の高学年の時にそれなりにきちんといじめにあった。クラスのカーストが一気に最底辺になり、ずっと最底辺だった男子を横目で意識しながら、しかし話すこともなくひたすら孤独に過ごした。教師も、圧倒的に勉強ができて特に教えることもなく、当時学年で1人か2人しかしなかった中学受験をする私のことを全く守ってくれなかった。

私はその体験があって小学校高学年を根本的に信用していない。5つも年下の子と楽しく遊ぶ善良な側面があるとは到底理解できない。

だがきっと世の中には善良な高学年もいるのだろう。というかそれが過半だろう。こうやって別の角度から社会を追体験するのも子育ての醍醐味である。

夕食にナスの重ね焼きを作って、子供達が寝たあと仕事場に降りて行った。スマホを取りに行っただけだ。

しかしそこにまたゴキブリがいた。昨日いた友達じゃない。黒くて大きなやつだ。

手元にゴキブリを寄せ付けないスプレーがあり、これは直接かけてもいいやつなので噴射すると、よろよろビクビクしながらしかし死なず倉庫の奥の方へ消えていく。しまった!

倉庫の中身をどけて探していると、足元をふと何かがよぎり、止まった。

見るとチャバネの子が、私が動かした段ボールに挟まれたのか、足元でピクピクしていた。これは、友達かな。。。

友達を捨て、倉庫の奥から見つけ出した瀕死の黒ちゃんを捨てる。