4階建ての2階部分

上の子:2013年生まれ 下の子:2015年生まれ

もう憧れではなく古めかしさの枠

9月29日(木)

午前中に比較的時間があるので何かしようと思って1個だけ入っていた打ち合わせを後日にずらしてもらったが、結局いろいろ立て込んでしまって特に外に出られずに終わった。

昼食だけはどうにか贅沢をと思い近所の餃子屋まで自転車を走らせる。亀戸餃子はこのあたりで最高級のごちそうである。私にとっては。かりっかりに焼けた薄皮の、野菜多めの小粒餃子を、からしとラー油を混ぜたようなタレにつけて食べる。

亀戸餃子の何がいいって、出てくるのがめちゃくちゃ早いんだよな。テンポがいい。

しかし夜には会社の会食があって点心を食べるのだった。

子供らは児童館にはまっているようで、帰って来るや否や児童館に出ていく。そして児童館から帰ってきた子供に引き留められながら、私は丸の内へ。

きらきらした夜の街に来るのはいつぶりだろうか、ピアノの練習で行く秋葉原がせいぜいなところで、それも用事をこなすために通っているだけであって、こうやってハイソなお店で男女がグラスを傾け名も知らぬだれかがつくった料理を食べる世界がある。

ハイソとは? 男女とは?

そういった世界があるのだ。まるで田舎者のようだ。そう思っていたらもう一人の先輩が「こういうきらきらした世界に来るとドラマの中に来た気がしますね」と言っていてまったく同感であった。

上司はよく飲みに行ったりしてこういったドラマの世界で暮らしているはずなのだが、それはもう憧れではなく古めかしさの枠だよな。

だれもがみなドラマの中を目指して生きている必要はなかったのだ。向いてないのにがんばって銀座や青山で生きる必要はない。そんなことを改めて感じるコロナ禍である。

飲み会はいたって平成中期の感じで終え、へろへろになった。おまけにシュウマイで口の中をやけどし、その流れで舌を噛んだ。